締め切りのない勉強

ADHDとその二次障害双極症2型の巨神兵女子がいかに安く高等教育を受けるかの奮闘記

ヒト歴46年目にしてADHD診断と投薬開始で人生変わる

20年ほど前に不眠症になり、不全失語症をマニラで発症し、その後転がり落ちるようにうつ病と診断され抗うつ薬を飲み続け、10年くらいしたら「双極性障害でした」と言われ。躁うつ病の事です。

 

上がったり下がったりする人に、上がるためだけの薬である抗うつ薬だけ飲ませると躁うつ病の病状って悪化します。

多くの躁うつ病の方は、その正しい診断名である双極性障害に出会い、双極性障害の薬を処方されるまでに数年、いや私のように10年以上かかる人もいる事でしょう。

 

今回は46年かかってしまいました。

わたしはADHDでした。

どうも、うつ状態だったり軽躁(双極性障害2型の私は躁状態が軽い軽躁というのが主な躁状態です)だったりという気分障害が生活の困りごとの中核を占めているように思えず、同居人と話していて「恐らくは一般的な人は、私のようにあたふたダンスやプチパニックの舞を踊ったり、質問に答えられずニー!と叫んだりしないのではないか?」と問うたとき、同居人は「まず私はやらないし理解できない」と帰ってきた。

 

うんうん、そうだよね。あと毎回食卓に焼き海苔の袋を絶対忘れて片付け終了した気になったりしない。

話を聞いている最中に、急に何も考えられなくなったりもしない。

授業中に、ノートを取ることに必死で内容が頭に入らないと言うこともおそらく頻繁じゃない。

同じ事を繰り返して同じ注意と指示を受けて仕事を首にされたことも、他者の感情が全く読めず言葉通りに受け止めて「冗談が通じない奴」「あほ」と言われ続けた幼少期も少なかろう。

 

もしやと思った。

 

最近ライブ配信のリスナーさんにADHDという方がいらしていて、ちょっとお話を聞いていたらこりゃ俺のことじゃねえかとなり、ご自宅へお邪魔してASDADHDの詳しい本などを頂いて帰ってきた。

 

医師に相談してみた。

やっぱり注意欠陥型ADHDだった。即時、投薬でのQOL改善をスタートさせることになり、コンサータという中身は世を騒がせたリタリンの徐放剤を36mg飲むことになった。

 

ADHDじゃない人って、世界がこんなふうに見えているんだなって思って泣けた。

頭の中がシーンと静まり返って、何ひとつアワアワと焦っていない。音や光に気を取られて洗濯や食事をしている事を忘れないでいられる。

 

これが、「普通」!!

 

しかしだ、感動しまくりだったけど、コンサータ(リタリン)について知れば知るほどガクブルだし、耐性がつく前に社会教育を受け心理療法及び認知行動療法も進めて、WRAPも実施しつつ、元のワチャワチャ人に転がり落ちないようにしなければ。

 

ちょっとずつ、前に進みながら、放送大学で勉強しながら、職業訓練校で資格取りながら、犬猫とわちゃくちゃ揉みくちゃになって遊びながら、予定がない日はコンサータは服薬せず、学校や仕事のあるときは服薬して大きなミスがないように、やっていこう。

 

 

長くなってしまった。

 

そんなわけで、様々な事情と機会が重なり、この春放送大学の選科生として半年に3、4コマの授業を取りつつ、受かったら職業訓練校で建築を学びます。訓練給付金の申請資格があったためです。

建築を学び、ドッグトレーナーとして資格が取れた暁には保護犬も暮らせるコミュニティシェアハウスを建設したいのです。

 

英語もガンガン学びます。英語で建築士の勉強も出来たらいいのに。

でも、取り敢えず私は、今書いた事柄を一生懸命やってみます。

訓練校受からなかったらバイトね。皿洗い。

 

放送大学の選科生は、入学金9,000円で入学期間は1年間。何科目学んでも良くて、年数にも制限なし。1年経過したら6,000何某かに割り引かれた入学金を1年分支払うも、休学も自由なので毎年払わずともお金に余裕がある年だけ学べる。

自分のお金と体力にペースで。

素晴らしい大学です。

 

やらねばならない事、到達したい目標は、それこそゴチャゴチャと山のようにありますが、コンサータのせいでしょうか、頭は静かです。焦りがない。

別に途中で死んじゃってもしょうがないじゃん、人はいつか死んでしまうし。

そんな気分です。

 

 

目指す目標

国外脱出

ドッグトレーナー国際認定試験合格

臨床心理士もしくは認定心理士資格

語学習得

CAD関係と二級建築士取得

毎年自然農法で野菜代を浮かせる

 

とりあえず以上です。