犬の訓練士アカデミーと放送大学
細々と英語の雑な学習を続けながら、お金貯めようとしては失敗し続けている私。
学費、かかりますね。
放送大は通信制大学の中でも学費が安いほうですが、それでも支払いには壁がある年金生活者です。
そんな中、私は犯罪心理学をメインの目標から下ろして、犬の訓練士アカデミーに進むことにしました。
遠方の東京にある学校なので、通学をどうしようか考え中です。
人脈をフル活用するか、実家に頼るか。
コロナ禍でオンライン授業も各教育分野で発達しましたが、いかんせんうちはネット難民エリア。光を引くことができません。
限られた容量のモバイルWi-Fiを契約していますが、速度は恐ろしく低くまた月極の容量までしか通信できないため非常にひじょーに恐ろしい。
これが月末のオンライン試験なんかで、試験中に制限容量まで達してしまって落第なんぞしようものなら、目も当てられません。
犬の訓練士アカデミーは、オンライン授業は一部ありますが試験は原則現地へと出席して受ける形になっているため、そこまで心配しなくてもいい。(放送大も試験は現地でと言う形も一部残しているようですが)
さて何故犯罪心理学を二の次にして犬の訓練士か?というところですが、個人的には辻褄が合っています。
人間に殺略行為を行わせないため、また心理的知識がないために社会通念上誤った行為を重ねて身を滅ぼさせないため、さらにはこうした事柄を徹底して行なっていても人間による犠牲者は出るわけで、そうした犠牲者を救うセーフティネットに関わる仕事をしたいためです。
人間が作り上げたこの社会に引き込まれた家畜やペットの類は、普く人間の都合に振り回されており、また人間自身も常に弱者や他者を踏みつける形で偏った状況に生きる人間の快適さを保とうとしています。
不平等があるからこそ改善や改革が行われて行くということが、イノベーティブな世界の根底にある基本理念だろうと考えます。
突き詰めると不平等なくして改善は見込めない訳で、「では不平等は必要悪か?」と問われたら答えには窮すると思います。
軸を変えれば、多様性を持ちさまざまな属性の社会を成して生きる生物には、改善改革の作業が必須だという答えになるかと思います。
では「犬」にそれができるでしょうか。
ペット化され人間という生物に生活環境の全てを支配された「犬」には、それを覆すだけの頭脳と行動力はないでしょう。野生の犬であれば話は別です。
人間に生まれ落ちたからこそできる仕事がしたい。それらの中でも携わる人口が少ない分野で、且つ専門性がある仕事を選びたい。
こうした仕事には、犯罪心理学と犬の訓練士、その両方が当てはまります。
犬の訓練士になることで、犯罪心理で進みたかった臨床心理の現場や医療機関、福祉の分野にも関わることが出来ます。
なによりも、犬をパートナーとして仕事をすることが出来ます。
良い気づきだと痛感しました。
学費を貯めるのが2校分になり大変ではありますが、目標としては人間の心理を理解した犬の訓練士となって、家畜化した動物と如何に共存できる道を探れるか?を死ぬまで追求し続けることができるこの生涯学生気質を活かせると、今は強く思ってます。